民話 > 橋立村の話(青海川ヒスイ峡)
「橋立村の話」
 昔、昔のことじゃった。
 武蔵野から、藤原という人が、戦いにやぶれ、落武者として、青海川の奥深くに落ちのびてきたとね。
 なにしろ落武者の身、人に素姓が知られては命にかかわると、武蔵野の武をとり、武藤とし、名前も次助と変えて、武藤次助と名のってくらしておったんだと。
 ある日のこと、

「久しぶりに、海の魚でも食いたいものだ」

と、川を下り海に行った。
 つり竿をたらしていて、ふと見ると、大きな箱を波にゆれて浮いているのが見えたと

 「ありゃ、何だろう」

 ふしんに思って、波うちぎわに箱を引きよせ、中をのぞいて見ると、何んと、わかい娘が、はいっておったちゃんね。

「こんな中に、娘さん。どうなされた」

次助はびっくりして、聞いたとね。

「はい。私は親のいいつけにそむき、かんどうとなり、箱の中へ入れられ、海に流されたのです」

 娘は、か細い声で泣き泣きいうたとさ。

「親の決めたえんだんが、どうしても気に入らず、いやだといはり、とうとうかんどうされてしまったのです」

 見れば、器量も良く次助は、一ぺんに気に入ってしまい、

「どうか、わしの嫁になってくだされ」

 と、たのんだ。
 次助も、落武者とはいえ、りっぱな青年。
 娘も、すっかり次助を好いて、二人で、娘の親元に結婚をゆるしてもらいに行ったんだと。
 次助を見た娘の親は、よろこんで、結婚をゆるしたちゃんね。
 そして、橋がないために、次助の家から、川向こうへ行くのに遠まわりをしなければならず不便していると、娘から聞いた親は、

「橋がなければ、おこまりでしょうに。この金は少ないが橋をかけるたしにしなさい」

 と、たくさんの金を差し出したとね。
 家に帰った二人は、力を合わせ、一しょうけんめいはたらき、やがて、青海川に、りっぱな橋をかけることができたんだとさ。
 二人の子供のうち一人を、川向こうに住まわせ、橋のおかげで川の向こうも、こっちも、ゆうふくに便利にくらせるようになったとね。
 そしてあたり一帯はいつか橋立村と呼ばれるようになったそうな。

いちごさかえ申した。  

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